先日公開した気体分子運動論シミュレータでは、箱の中を飛び回る粒子の動きから、「温度」や「圧力」がどうやって生まれるのかを目で見て確かめられます。
温度スライダーを上げると粒子が速く動き出し、速度分布のヒストグラムの山が右へ移動して裾が広がっていく。見ていて単純に面白いのですが、せっかくなので「なぜそうなるのか」を、高校で習うニュートン力学だけを使って一歩ずつ組み立ててみようと思います。
1. 気体を「力学の問題」として扱う
気体分子運動論の出発点は、わりと乱暴な割り切りです。
- 気体は、飛び回る無数の小さな粒(分子)の集まりである
- 分子1個1個の運動は、ニュートンの運動法則(等速直線運動・弾性衝突)に完全に従う
- 「圧力」「温度」「体積」といった熱力学の量は、この大量の分子の力学的な運動を平均した結果として現れる
つまり、圧力や温度という一見「力学とは別物」に見える量を、
F=ma の世界の言葉だけで説明し尽くそう
という試みが気体分子運動論です。シミュレータでも重力は考慮せず、分子同士・分子と壁の衝突はすべて力学的エネルギーと運動量が保存する「完全弾性衝突」として計算しています。この単純化そのものが、この理論の核心です。
2. 分子1個の運動 — 等速直線運動と衝突
箱の中の1個の分子は、他の分子や壁にぶつからない限り外力を受けないので、等速直線運動をします(慣性の法則)。
運動が変化するのは、衝突の瞬間だけです。シミュレータでは2種類の衝突を扱っています。
壁との衝突
壁に垂直な速度成分だけが反転します。たとえば右の壁にぶつかった分子は、\(v_x \to -v_x\) となり、\(v_y\) は変化しません。鏡に映すように跳ね返るだけなので、速さ(エネルギー)はそのまま保存されます。
分子同士の衝突
2次元の完全弾性衝突です。衝突の瞬間、2分子を結ぶ直線(法線方向)の速度成分だけが交換され、運動量保存則とエネルギー保存則を両方満たすように速度が更新されます。同じ質量の分子同士なら、法線方向の速度成分をそのまま入れ替えるのと数学的に同じ結果になります。
ここで大事なのは、
衝突のたびに個々の分子の速度はバラバラに変わるが、全分子の運動量とエネルギーの合計は変わらない
という点です。この保存則が、この先の「圧力」と「温度」の安定した関係を支えています。
3. 圧力はどこから生まれるか — 壁が受ける力積
圧力は「面が単位面積あたりに受ける力」ですが、力学的に見れば正体は、分子が壁に衝突するときに与える運動量変化(力積)の積み重ねです。
1個の分子が壁に垂直にぶつかって跳ね返るとき、壁に与える運動量変化は、
\[ \Delta p = m v_x – (-m v_x) = 2 m v_x \]
です。これが1秒間に何回起きるかを数えて時間平均を取ると、壁が受ける単位時間あたりの力、つまり圧力の元が出てきます。
分子数が多く、速度がバラバラな方向を向いているほど、この力積の合計はなめらかで安定した「圧力」として観測されるようになります。
つまり圧力とは、
個々の分子から見ればランダムな「衝突のたたき」の集合
であり、分子数が十分多いときにだけ、なめらかで一定な「圧力」という巨視的な量として近似できる、ということです。シミュレータでこの壁への力積を積算すれば、疑似的な圧力を数値化できます(現バージョンでは未実装ですが、拡張余地として仕様書にも書いてあります)。
4. 「温度」とは何か — 平均運動エネルギーとの対応
ここが気体分子運動論のいちばんの核心です。
温度とは、感覚的には「熱さ・冷たさ」ですが、力学的には分子の平均運動エネルギーそのものです。
分子1個の運動エネルギーは \(\frac{1}{2}mv^2\) ですから、全分子で平均を取った、
\[ \left\langle \frac{1}{2} m v^2 \right\rangle \propto T \]
という比例関係が成り立ちます。これは天下り的な仮定ではなく、圧力の力学的な導出(前節)と、理想気体の状態方程式 \(PV = NkT\) を突き合わせることで得られる結論です。
この関係から、平均の速さは温度の平方根に比例することが導けます。
\[ \langle v^2 \rangle \propto T \quad\Longrightarrow\quad \langle |v| \rangle \propto \sqrt{T} \]
シミュレータで温度 \(T\) を上げると、内部では全粒子の速度ベクトルに \(\sqrt{T_{\text{new}} / T_{\text{old}}}\) を掛けています。これは速度分布の「形」(バラつき方)はそのままに、平均エネルギーだけを狙った値に合わせる操作です。
温度を2倍にすると分子が2倍速く動くのではなく、
約1.41倍(\(\sqrt{2}\) 倍)にしかならない
というのは、この式の直接の帰結です。シミュレータの「予想してみよう」機能は、まさにこの \(\sqrt{T}\) 則を直感で当ててから答え合わせする仕掛けになっています。
なお、これは2次元の箱の中の運動なので、3次元の教科書でおなじみの \(\frac{3}{2}kT\) ではなく、自由度2つ分の、
\[ \frac{1}{2}m\langle v^2\rangle = kT \]
に対応します(自由度1つあたり \(\frac{1}{2}kT\) というエネルギー等分配則は、次元によらず共通です)。
5. なぜ勝手にマクスウェル分布に近づくのか
シミュレータの初期状態では、各分子の速さはランダムな一様分布から出発します。しかし衝突を繰り返すうちに、速さの分布は自然と釣鐘型の「マクスウェル・ボルツマン分布」に近づいていきます。
これも力学だけから説明できます。
分子同士の弾性衝突は、2個の分子が持つ運動エネルギーの合計は保つ一方で、
その配分の仕方(どちらが速く、どちらが遅いか)をランダムにシャッフルする
操作です。これが何百回・何千回と繰り返されると、「エネルギー総量一定」という制約のもとで、統計的にもっとも実現しやすい速度の組み合わせに系全体が落ち着いていきます。これがマクスウェル・ボルツマン分布であり、力学的な衝突の繰り返し(ミクロな可逆過程)から、熱力学的な安定分布(マクロな統計的性質)が立ち上がる様子そのものです。
シミュレータの速度分布ヒストグラムで、温度を上げると山が右(高速側)に移動しつつ裾が広がって見えるのは、この \(\sqrt{T}\) 則(山の位置)とエネルギーの統計的な散らばり方(裾の広がり方)を同時に表しています。
まとめ
| 力学の要素 | 対応する熱力学の量 |
| 分子の運動量変化(壁への力積) | 圧力 |
| 分子の平均運動エネルギー \(\frac{1}{2}m\langle v^2\rangle\) | 温度 |
| 衝突によるエネルギーの再配分の統計的な落ち着き先 | 速度分布(マクスウェル・ボルツマン分布) |
| 運動量保存・エネルギー保存則(弾性衝突) | 熱力学法則が破綻しないための土台 |
気体分子運動論の面白さは、「圧力」「温度」という一見別世界の言葉が、実はニュートン力学の運動量・エネルギーの言い換えに過ぎない、と分かるところにあると思います。
ぜひシミュレータで温度スライダーを動かしながら、この記事の式と見比べてみてください。
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